マラドーナがなくなられたという話で、私の場合はマラドーナに対して良い印象しかなかったので。
(「さん」づけが難しいので名前だけで書きます。)
何かしらで、テレビとか見てもマラドーナは何か私に嫌がらせをしているという印象もなく、生活もされていたようにも見えました。
書く内容が人によって心境は違うと思いますし、良くも悪くも私の場合は、2020年12月27日、遅くに知りましたから、これを読んでいる人と温度差がある状態だと思います。
読む人の心境によって、どれを選べばいいのかわからないのですけど。
私もそうだし、サッカーに関係する人からすると偉人とか伝説的な人になっている人が多いと思うのですが、私もその一人です。
そんな感じなのですが、何を書いていいのかとも思うんですけど、凄い人だという感じで止まっているので。
政治的な話とか、ワールドカップの話とか、アルゼンチンの話とかいろいろあるのですが、それには触れない方がいいのかとかわからないなとも思うし。
凄いという話をすると、みんな知っているという話が多いと思いますが、
もう、神の手とか、5人抜きとか、そんな話とか
マラドーナが靴ひもを結んでいる時も、相手チームはマークを外さなかったとか・・そういうのもありましたね。
今もそういう選手がいますが、後、マラドーナのレベルになるとボールの扱えるレベルが常軌を逸しているので、蹴ったボールの軌道とかめちゃくちゃなので、ボールを読む読まないでどうにもならないレベルだなとか見えたりとか。
マラドーナの人生の映画を私はみたので、いろいろ書こうと思えば書けるんですけど。
私の位置だから書いてもいいのかわかりませんが、マラドーナはイタリアで活躍して、そこから生活面が落ちてしまった話の話題があるんですけど。
マラドーナは、有名すぎてどこへ行っても落ち着けないとか。料理店に行けないとか話とかあったと思うんですけど。
あれは、私はちょっと今の個人的な状態と条件は違いますけど、少し気持ちはわかるなとも思った気もあったなと。
普通の人はわからないと思うけど。
しかも、サッカーは熱狂的なスポーツなので、今より熱狂的なファンや敵対するサポーターみたいな人もいただろうし。
私の中学生の時に見ていた当時のイタリアのサッカーも、かなり凄かったですから。今の状態でも大人しくなったという感じとかあるし。
イタリアサッカーの試合をテレビを見ていても、爆竹とか発煙筒とか当たり前でしたからね。
そういうので試合が止ったり、アウェーで勝っても、勝ったチームは喜ばずに逃げるようにグラウンドから出ていくとか・・。
そういう時代を見てきてますから。
今もそういうのが見えますが、サッカーでのスタープレイヤーになった時の宿命的な状況はありますよね。
私も大変ですけど、今見ても性格が良いか悪いか、生活する様子が良いかどうかだけでスタープレイヤーは状況がめぐまれるかとなるとそうでもないし。
これは、やっぱりサッカー独特なものがありますよね。熱くなるスポーツですから。
他にもスポーツ人口が多いものもありますけど、サッカーの場合、政治が動いたいり、国レベルでどうこうとかあったり。
そういうのは昔の方が強かったと思いますけど、そういうのも出てくるし。
というか、最近のワードカップも凄かったか・・・。
やっぱり、そういうのサッカーですね。
今思うと、私もそういう一部になってるんだなと思いました。
現にアルゼンチンではマラドーナは神的な存在になっていたりもしますからね。
一部なのかわかりませんけど。
そうなると私はわかりませんが、マラドーナはどのくらい世界に影響を及ぼしたんでしょうね。
こういうのも私は日本で生まれて(おそらく)、生活水準が世界に比べて高い環境で生活して話して書いているので、アルゼンチンとか南米でとなると、書いている内容が違うとかあるんだろうなとも思えます。
そのへんは深く書かなくてもいいかなと思うので、サッカーの話題にしますけど。
でも、凄い壮絶な人生をおくってますね。私が書いているのがおかしいのかもしれないですけど。
こういうブログだと平和にどのくらい貢献した人なんだろうとか、そういう風な観点で見てしまったり、見る人も多いのかもしれませんが、どのぐらいそういう意味で貢献したんでしょうね。
非を見ないとわからないのもありますからね。
サッカー選手としての観点でいうと間違いなく、功績は高いですからね。
プレーの影響とか。今でも南米スタイルというとマラドーナの影響はあるだろうし。
ドリブル主体でワンタッチパスとか、壁パスとか練習の一部になってたし。
やっぱり個人的に、影響力がある人で行動的な人だったと思うんですが、私は何か悪い事をされたわけでもない状態も逆に不思議に思うくらいな感覚ですけど。
そういう意味でも、偉大な選手という感覚だったというのが、あるような気がします。